更新情報:タイトルを変更(2023.8.8)
はじめに
このページは鹿児島県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは大崎町~瀬戸内町まで)
鹿児島県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。
大崎町の由来
1936年(昭和11年)に、大崎町が成立しました。
これは、大崎村が町制施行したことによるものです。
大崎の名称については、地形に由来しているされています。
「崎」の字は岬と同じような意味を持ち、丘などが突き出ている端の場所を指すそうです。
このことから、大きな丘が突き出たような地形であることにちなむと考えられています。
鹿児島市の由来
1889年(明治22年)に、鹿児島市が成立しました。
鹿児島の名称の由来には諸説あるといわれています。
一説によると、鹿の子が多く生息していたことが由来としています。
他には、火山を指す「カグ」からとする説や、水夫を指す「カク」から転じたとする説もありました。
元は桜島を指す言葉だそうで、四方が崖になっていることから「カゴ」が転じたとする説もあります。
補足
- 読み方→「桜島(さくらじま)」
鹿屋市の由来
1941年(昭和16年)に、合併及び市制施行によって成立しました。
合併は「鹿屋町」「大姶良村」「花岡村」で行われています。
鹿屋の名称の由来については、諸説あるようです。
まず、「カヤ」という植物が多く自生していたことにちなむとする説がありました。
他に熊襲の首長である「カヤ」や、多くの鹿が生息していることにちなむとする説もあります。
補足
- 読み方→「大姶良(おおあいら)」「花岡(はなおか)」「熊襲(くまそ)」
- 熊襲→九州に本拠地を構えて、大和政権に対抗した人々や地名。
喜界町の由来
1941年(昭和16年)に、喜界町が成立しました。
これは喜界村が町制施行したことによるものです。
村の名称にもなったのは、喜界島に位置しているからと思われます。
喜界の名称の由来について詳しい情報は見つかりませんでしたが、「鬼界島」から転じたとする説などあるようです。
また詳しく分かり次第、追記していこうと思います。
補足
- 読み方→「喜界島(きかいじま)」
肝付町の由来
2005年(平成17年)に、合併によって肝付町が成立しました。
合併は「高山町」と「内之浦町」で実施されています。
町名は公募によって新たに名付けられました。
由来としては肝付氏にちなんだものだそうです。
肝付氏は鹿児島の東側である大隅半島を長い間治めた人物で、この地を本拠地としていました。
補足
- 読み方→「高山町(こうやまちょう)」「内之浦町(うちのうらちょう)」
霧島市の由来
2005年(平成17年)に、合併によって霧島市が成立しました。
合併は「霧島町」をはじめ、「国分市」「溝辺町」「横川町」「牧園町」「隼人町」「福山町」で実施されています。
霧島の名称は、霧島山にちなんで誕生しました。
由来としては神話によるものとされています。
それは、神々が天から覗いたときに、霧の煙った海に浮かんでいる島を見つけたとするものです。
補足
- 読み方→「国分市(こくぶし)」「溝辺町(みぞべちょう)」「横川町(よこがわちょう)」「牧園町(まきぞのちょう)」「隼人町(はやとちょう)」「福山町(ふくやまちょう)」
錦江町の由来
2005年(平成17年)に、錦江町が合併によって成立しました。
合併は「大根占町」と「田代町」で行われました。
町名に関しては公募によって決定されています。
由来としては西側にある錦江湾にちなんだものになります。
ちなみに、錦江湾は「鹿児島湾」という名称で広く知られています。
補足
- 読み方→「大根占町(おおねじめちょう)」「田代町(たしろちょう)」「錦江湾(きんこうわん)」
さつま町の由来
2005年(平成17年)に、合併によってさつま町が成立しました。
合併は「薩摩町」「宮之城町」「鶴田町」で行われました。
さつま町という名称になった経緯等に関しては情報が見つかりませんでした。
ひらがな表記であるのは憶測になりますが、薩摩と区別する為や柔らかいイメージを持たせる為などが考えられそうです。
また詳しく分かり次第、追記していこうと思います。
補足
- 読み方→「薩摩町(さつまちょう)」「宮之城町(みやのじょうちょう)」「鶴田町(つるだちょう)」
薩摩川内市の由来
2004年(平成16年)に、薩摩川内市が合併によって成立しました。
合併は「川内市」「樋脇町」「入来町」「東郷町」「祁答院町」「里村」「上甑村」「下甑村」「鹿島村」で行われました。
薩摩はこの地域がかつての行政区画でそう呼ばれていたことにちなむと考えられますが、川内の名称には諸説あるようです。
古くには「千台」と表記されていたといわれており、一説には千の台を作らせたという話にちなんでいるそうです。
その他、川北を「川内」、川南を「川外」と呼んでいたことに由来するという説もありました。
補足
- 読み方→「川内市(せんだいし)」「樋脇町(ひわきちょう)」「入来町(いりきちょう)」「東郷町(とうごうちょう)」「祁答院町(けどういんちょう)」「里村(さとむら)」「上甑村(かみこしきむら)」「下甑村(しもこしきそん)」「鹿島村(かしまむら)」
- 台→「うてな」と読み、高く建てらてた建物。
志布志市の由来
2006年(平成18年)に、合併によって志布志市が成立しました。
合併は「志布志町」「有明町」「松山町」で行われました。
志布志の名称は天皇に布を献上したという話にちなんでいます。
侍女までもが献上し天皇から、感激して「上下から志しとして布を献上した」と言ったことが始まりとされます。
他にも説らしきものはありましたが、上記の情報がよく見られました。
補足
- 読み方→「志布志町(しぶしちょう)」「有明町(ありあけちょう)」「松山町(まつやまちょう)」
瀬戸内町の由来
1956年(昭和31年)に、合併によって瀬戸内町が成立しました。
合併は「実久村」「鎮西村」「西方村」「古仁屋町」で行われました。
瀬戸内という名称の由来については、大島海峡にちなんだものだそうです。
大島海峡は瀬戸内町がある奄美大島と加計呂麻島の間にある海峡です。
別名「瀬戸内」と呼ばれており、古くから地名として用いられたとされます。
補足
- 読み方→「実久(さねく)」「鎮西(ちんぜい)」「西方(にしかた)」「古仁屋(こにや)」」「大島海峡(おおしまかいきょう)」「奄美大島(あまみおおしま)」「加計呂麻島(かけろまじま)」
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